アディダス(adidas)とプーマ(PUMA)の創業者は、実の兄弟です。
弟のアドルフ・“アディ”・ダスラーがアディダスを、兄のルドルフ・ダスラーがプーマを創業しました。
現在では世界を代表するスポーツブランドとして知られる2社ですが、もともとは兄弟で一緒に靴を作っていました。
では、なぜ兄弟は別々の会社をつくることになったのでしょうか。
そこには、世界的ブランドの歴史とは思えないほど激しい兄弟の対立がありました。
アディダスとプーマの創業者は兄弟だった

アディダスとプーマの歴史は、ドイツ南部バイエルン州の小さな町ヘルツォーゲンアウラハ(Herzogenaurach)から始まります。
弟のアドルフ・ダスラーは「アディ(Adi)」の愛称で呼ばれ、スポーツに適した靴づくりに取り組んでいました。
兄のルドルフも加わり、兄弟は実家を拠点に靴づくりを始めます。そして1924年、「ダスラー兄弟靴工場(Gebrüder Dassler Schuhfabrik)」を正式に登録しました。
弟アディが靴づくりや製品開発を得意とし、兄ルドルフが営業面で力を発揮したとされ、兄弟の会社はスポーツシューズメーカーとして成長していきます。
1928年のアムステルダムオリンピックをはじめ、ダスラー兄弟のシューズは競技の世界でも使われるようになりました。1936年のベルリンオリンピックでは、4つの金メダルを獲得した陸上選手ジェシー・オーエンスとダスラー兄弟のシューズとの関わりも広く知られています。
なぜアディダスとプーマに分かれた?兄弟喧嘩の始まり

順調に見えたダスラー兄弟ですが、事業が大きくなるにつれて2人の関係は悪化していきます。
特に第二次世界大戦の時期には、会社の運営や徴兵、戦後の非ナチ化審査など、兄弟を取り巻く環境も大きく変化しました。
ただし、「これが原因で兄弟が決裂した」と断定できる決定的な理由は現在も明らかになっていません。
戦時中の出来事、兄弟それぞれの性格、家族同士の関係など、さまざまな説が語られていますが、どれか一つだけを兄弟喧嘩の原因とするのは難しいようです。
確かなのは、長年一緒に事業を続けてきた2人の関係が修復できないほど悪化し、1948年にダスラー兄弟の会社を分けることになったことです。
兄ルドルフがプーマ、弟アディがアディダスを創業
兄弟が別れた後、先に新しい会社を立ち上げたのが兄のルドルフでした。
ルドルフは1948年に自分の会社を設立。当初は自身の名前「Rudolf Dassler」を組み合わせた「RUDA(ルーダ)」という名称を使っていましたが、その後「PUMA(プーマ)」へ変更します。
PUMA公式では、ルドルフが「ピューマ」という動物が持つスピード、強さ、持久力、俊敏性といったイメージを製品に重ねたことが説明されています。

一方、弟のアドルフは1949年8月18日、「Adolf Dassler adidas Sportschuhfabrik」を正式に登録しました。
「adidas」という名前は、アドルフの愛称「Adi(アディ)」と、名字「Dassler(ダスラー)」を組み合わせたものです。
| adidas | PUMA | |
|---|---|---|
| 創業者 | アドルフ・“アディ”・ダスラー | ルドルフ・ダスラー |
| 兄弟 | 弟 | 兄 |
| 創業 | 1949年 | 1948年 |
| 拠点 | ヘルツォーゲンアウラハ | ヘルツォーゲンアウラハ |
つまり、現在のアディダスとプーマは、まったく別の場所から生まれたブランドではありません。
同じ町、同じ家族、そして同じ靴工場から生まれた2つのブランドなのです。
兄弟の対立は町全体を二分した
兄弟が別れた後も、対立は2人だけでは終わりませんでした。
アディダスとプーマは同じヘルツォーゲンアウラハを拠点とし、それぞれの会社で多くの町の人が働くようになります。
そのため町では「アディダス側」「プーマ側」という意識が強くなり、相手がどちらの靴を履いているのかを見る習慣が生まれたと伝えられています。
そこからヘルツォーゲンアウラハは、相手の足元を見るために首を曲げる「首を曲げた町(Town of Bent Necks)」と呼ばれるほどになりました。
スポーツブランド同士の競争が、地域社会にまで影響を及ぼした珍しい例です。
アディダスとプーマはスポーツの世界でも激しく競争
兄弟が別れた後、アディダスとプーマはスポーツ選手やチームへのシューズ提供でも競うようになります。
アディダスにとって大きな転機となったのが1954年のサッカーワールドカップです。
西ドイツ代表がアディダスのサッカースパイクを履いて優勝。交換可能なねじ込み式スタッドを備えたシューズも注目され、アディダスの名前が世界へ広がる大きなきっかけとなりました。
一方のプーマもサッカーや陸上競技などで多くの選手をサポートし、スポーツブランドとして急速に存在感を高めていきます。
ペレの靴紐で世界中にPUMAを見せた有名な逸話

アディダスとプーマの競争を象徴するエピソードとして有名なのが、サッカー界のスーパースターペレをめぐる話です。
1970年のワールドカップを前に、両社はペレとの契約を避ける、いわゆる「ペレ協定(Pelé Pact)」を結んだと伝えられています。
世界最高峰の選手を奪い合えば、契約金が際限なく高騰してしまうためです。
ところが最終的にPUMAはペレと契約。
1970年ワールドカップでは、試合開始前にペレがいったん動きを止めて靴紐を結び直し、その様子を撮影するテレビカメラにPUMAのシューズが大きく映った、という有名なマーケティングの逸話が残っています。
現在のスポーツ界では選手とブランドのスポンサー契約は当たり前ですが、アディダスとプーマはそのずっと以前から、トップアスリートを通じたブランド競争を繰り広げていました。
古着で見るアディダスとプーマも面白い
アディダスとプーマはスポーツブランドとして長い歴史を持つため、古着でもさまざまな年代のウェアを見ることができます。
アディダスならトレフォイルをはじめとしたロゴや3本線、プーマなら飛び跳ねるピューマやFORMSTRIPなど、それぞれのブランドを象徴するデザインがあります。
単にデザインを見るだけでなく、「もともとは兄弟が一緒に靴を作っていた」と知ってから2つのブランドを見ると、古着を見る楽しみ方も少し変わってきます。
アディダスのロゴについて詳しく知りたい方は、アディダスロゴの歴史・ブランド特徴・4種類のロゴを解説した記事もご覧ください。
まとめ|アディダスとプーマは兄弟喧嘩から生まれた
アディダスとプーマの創業者は、もともと一緒に靴を作っていたダスラー兄弟です。
兄ルドルフは1948年にPUMAを、弟アディは1949年にadidasを創業しました。
2人がなぜ決定的に仲違いしたのか、その原因は現在もはっきりしていません。
しかし兄弟が別々の会社をつくり、互いに競い続けた結果、同じ小さな町から世界を代表する2つのスポーツブランドが誕生したことは確かです。
もし兄弟喧嘩がなければ、現在のアディダスとプーマは存在しなかったかもしれません。
そう考えると、普段何気なく目にしているロゴや古着にも、少し違った歴史が見えてきます。
ライター:こうへい
フリーのWebライター兼モデルとしてマルチに働く大学生!
現在tシャツ&スウェット専門のアパレルブランド立ち上げ準備中です!



